12月20日に外国の方が老人ホームにボランティアにやって来られました。
ボランティアの方のショーは45分で歌や踊りなどを披露されました。
見学されていた入居者の皆さんは、ボランティアの方のショーにとても喜んでおられた様子でした。
ランティアの方々のショーの後、入居者の皆さん・ボランティアの方々・職員で一緒に昼食を作って交流を図りました。
日本におけるボランティアの意味
ボランティアという言葉は30年位前から一般的になってきたように思います。
それまでは社会奉仕といわれていた言葉であると思います。
大まかな意味はボランティアと社会奉仕の言葉の意味は似ており、ともに社会の役に立つことをするという意味と捉えて良いと思います。
しかし、厳密に言えばボランティアと社会奉仕の言葉の意味は違う部分が出てきます。
ボランティアが日本でささやかれだした頃は、ボランティアという言葉を知っている人はほとんどいませんでした。
なので、ボランティアという言葉の意味を知っている人も殆どいませんでした。
しかし、現在の日本でボランティアと言えば、「自発的に~をすること」という風に多くの人が答えると思います。
海外におけるボランティアの意味
日本においてボランティアの意味は、「自発的に~すること」=「社会の役に立つこと」と考えて良いですが、これが海外、特にキリスト教圏にいけば、ボランティアの意味はより具体的になってきます。
今回、12月20日に海外の方がボランティアに来られましたが、クリスマスがある12月以外はボランティアに来られません。
ボランティアの方々は普段忙しいという事もあるかも知れませんが、事情はそれだけではないと思います。
ボランティアの方々のことについて詳しいことはお聞きしていませんが、たぶんキリスト教団体の方々であると思います。
ここではキリスト教の教義のことについてお話はしませんが、クリスマスとキリスト教の関係について私が思う事だけお話ししたいと思います。
キリスト教信者の方がボランティアに積極的な理由
キリスト教信者の方でボランティア(社会貢献)に大きな功績のあった方の一人に、マザーテレサがおられます。
マザーテレサはご存知のようにコルカタ(カルカッタ)で人々に見捨てられて死を待つ人に、家と食事と愛を奉仕するために人生をささげた方です。
マザーテレサはヨーロッパの東欧の方ですが、どうしてインドの一番貧しい街のコルタカで死を待つ人のために、人生をささげたのでしょうか。
そこには新約聖書にある一つの言葉を信じていたからだと思います。
新約聖書にある一つの言葉
「最も小さなものにしたことは私にしたことである」
この言葉は新約聖書の言葉ですが、どの場面で出てくるかというと、キリスト教を信じている人がなくなった時に天国から声がしてきます。
「あなたは私が困っていた時に助けてくれました…」
この言葉を聞いたキリスト教信者は言います。
「私が生きているときに、いつあなた様をお助けしましたでしょうか。」
天国の言葉は答えます。
「私が飢えているときに食べ物を与えてくれ、凍えているときに宿を貸してくれた。地上で最も小さなものにしたことは私にしたことである。」
キリスト教を熱心に信じるマザーは新約聖書のこの言葉によって、コルカタでの奉仕活動を続けていくことができたと言われています。
キリスト教とボランティア
はじめに、ボランティアという言葉は「自発的に~をする」という意味があることをお話ししました。
この言葉を、キリスト教の教え的に言うと『自発的に最も困っている人を助けなさい』という意味があるように思います。
ところでなぜ、ボランティアという言葉の意味を、キリスト教的に言うのかと言いうと、ボランティアと言う言葉は海外から入ってきた言葉です。
さらにいうと、海外から入ってきたと言っても、ボランティアは英語ですが海外の英語圏のほとんどはキリスト教圏ですね。
なぜこのようなことをいうのかというと、ボランティアという言葉は、キリスト教の教えに発祥しているのではないかと感じているからです。
キリスト教の方にとってボランティアとは、単に自発的に人を助けるという意味だけではなく『最も小さなもの、とても困っている人を助けなさい』と言う意味合いがあるのではないかと感じています。
そうだからこそ、マザーテレサはその一生をインドの最も貧しい人々のためにささげ、またクリスマスのある12月に日本の介護施設となんの面識もない海外の方が、慰安ボランティアに来る理由なのでしょう。
海外の方、特にキリスト教を信じている方がボランティアに熱心なことが、今回のクリスマスボランティアの件で再認識することができました。
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