ゴールデンウィークと二十四節気に学ぶ『季節の花・人生のヒント』とは

3月4月と仕事が忙しく、あっという間に4月も最後の日がやってきました。

明日から5月ということで、5月という言葉の響きになんとなく楽しさを感じるtsubameですが、その理由は5月のはじめにゴールデンウィークがあるからだと思います。

昔のtsubameは、ゴールデンウイーク前になると「どこに遊びに行こうかな」と考えながら過ごしてましたが、最近はゴールデンウイーク前になるとあることを思うようになりました。

あと少しで夏が来る…。」と。

ゴールデンウィークと二十四節気

tsubameが良く歩くことを始めてから6年位がたちました。

歩くようになってだんだんと、これまで見ても見えていなかった木々の変化や身近に咲く花などの変化が良く分かるようになりました。

いま、tsubameの身近なところではつつじが満開になり、菖蒲やアヤメも満開を迎えつつあります。

菖蒲やアヤメは夏の代表的な花として有名ですね。

以前であれば、5月に咲くアヤメがなぜ、夏を代表する花なのか良く分かりませんでした。

しかし、最近はアヤメを見ると「そろそろ夏が来た」と感じるようになりました。

5月の節分

5月にも節分があることはご存知でしょうか?

節分は2月3日の節分が有名ですが、節分は年に4回あります。

2月の節分は冬と春を分ける境目の日として、季節を分ける日=節分の日として一年で最も有名な節分なのですね。

そして、2月の節分が過ぎると、次の日は立春。ようやく待ちに待った春が始まります。

このように、節分は季節を分ける日のことですので、四季がある日本では一年に4回節分があるのです。

春と夏を分ける節分の日は5月の3日前後、ちょうどゴールデンウイークの最中になります。

tsubameがゴールデンウイーク前になると「夏が来た」と感じる理由は、5月の節分、そして次の日の立夏(夏の始まり)を意識しているからなのです。

立夏は二十四節気の一つ

立夏は二十四節気の一つですが、二十四節気にはどんな意味があるのかを知っていますか?

二十四節気とは、一年の日数を夏至から冬至へと変わる太陽の角度を基準に均等に24分割した区切りの日になります。

 

代表的な二十四節気

春分…春の真ん中
夏至…夏の真ん中
秋分…秋の真ん中
冬至…冬の真ん中
立春…春のはじめ
立夏…夏のはじめ
立秋…秋のはじめ
立冬…冬のはじめ

立夏を迎えて

5月の節分が終わると、tsubameにとって次の日から夏が始まります。

いままでは、「梅雨が明けたら夏が来た」と思って過ごしていましたが、最近は5月になると夏が来たと思えるよになりました。

5月に「夏が来た」と感じる方は少ないと思いますし、また実感できる方も少ないかも知れません。

実際にtsubameも、「5月に夏が来た」と実感できるようになるまでは時間がかかりました。

しかし、最近になってようやく、5月になると夏が来たと実感できるようになりました。

5月に夏が来たと実感できると、今までとは違った季節の変化を感じることができるようになりました。

そして、次に来る季節のために、分かりやすく言うと本格的な夏が来る前に、夏の準備ができる・夏を迎え入れる心の準備ができるようになりました。

ですので、今では7月の中旬に梅雨が明けてこれから暑い日が続くようになっても、

『あと少しで秋(立秋)になるから(身体はきついけど)気持ち的に楽に夏を過ごせる』ようになります。

このことは人生を生きて行くうえでも、大切な一つの視点をあたえてくれました。

tsubameは40歳を過ぎ、人生の折り返しを過ぎたところです。

『今の時代は昔と違うから40歳なんて全然若い』と思う方も多くおられると思います。

実際に、tsubameも40歳を過ぎましたが気持ち的には20代30代とあまり変わらないような気がしますので、40歳になった気がしません。

しかし、歳は確実に40歳を過ぎており、これからアッという間に50・60・70・80歳になっていくのでしょう。

次に来る年齢への漠然としたとらわれに対して何が出来るのか?どのような心構えが必要なのか?その答えはどこにあるのか?

『5月に夏が来たと感じることが出来るようになった』ことで、その答えの一つがなんとなく分かったような気がしました。

『光陰矢の如し。少年老い易く学成り難し。』

と言う言葉は、2000年以上の時代を生き抜いてきた言葉です。

どの時代も生き抜いてきたこの言葉の中には、どの時代にも受け入れられる真実が含まれているのでしょう。

二十四節気も昔からある言葉で、どの時代も生き抜いてきた言葉です。

tsubameはこれからは、このような昔から生き残ってきた言葉を信じて生きて行きたいと思います。

そしてそうすることによって、次に来るべき年齢への漠然としたとらわれに対して、真実を含んだ心構えができるのではないかと思います。